生きる意味人生の目的とは?スピリチュアルの見解

2017/02/22霊的な事

私達が生きる意味とは?

私達は辛い人生や目的のない人生を送るなかで、生きる意味は何?生まれてきた意味は何?と自問自答することがあります。

多くの人が一度は生きる意味がわからないと思うことがあるのではないでしょうか。

しかし生きる意味は明確にあります。

この記事ではその意味についてご紹介したいと思います。

 
 
 

生きる意味人生の目的とは?スピリチュアルの見解

生きる意味についてスピリチュアルでは生きる意味について、

「生きる価値があるから生きるのではない、生きることに価値があるから生きるのです」

と言われております。

生きる価値云々ではなく、生存しているだけで価値があると説かれています。

極端な話、何もせず生存しているだけでも「立派なことだよ」ということです。

どんなに何もしないでボーッと生きようが、何もしないで生きているなりの不安や苦悩や苦しみがあるはずです。そのなかで学んで生きています。

どんな状況であれ、生きていること事態が価値のあることなのです。

財産もない、人脈もない、特技もない、才能もない、地位も名誉もない、何一つ人に勝るところがないからと言って嘆く必要などありません。

今生きているということがとても重要なのです。やりたいことがなくても焦る必要もなく、生きていけるならとりあえずは良しとしましょう。

生きていることに価値があるんだということを忘れないでください。

生きる意味・魂の修業

私達が生きる意味は魂の修行のためです。

この時代を選んだのはこの時代だからできる経験があるからです。

物質的な部分は昔より満たされたにしろ、現代はまた違った意味での苦労がある時代だと思います。

どの時代に生まれても時代時代の学びがある中で、私達はこの時代を選んできたのです。

自身の学びに相応しい国を選び、性別を選び、親を選び、肉体を選び、環境を選んで生まれてきています。

生まれてきた時に既にきまっていることは宿命です。宿命は生まれる前から自身で選んできているのです。

こうしたことをすべてひっくるめて、生まれてきたことは偶然ではなく必然です。

この時代、環境を選び、私達の生きる意味はどこにあるのでしょうか。

皆様は物質的価値観に翻弄されてないと言えますか?

この質問に対して私が答えるなら「正直言うと翻弄されてますよね…」

人は欲深いもので、いくら欲しいものを手に入れようとも、次から次へと物欲が湧きあがりますし、これだけ物が溢れる時代ですから、あれも欲しいこれも欲しいと目移りして後を絶ちません。

私達は物が溢れた時代を選んで生まれてきたわけですが、一昔前を思うとまったく世の中が違うのでしょうね。

私の親の世代は戦後の日本を生きてきた人達ですが、昔の話を聞くと、かつては食べていくことがままならず、ご飯を腹いっぱい食べられるだけで幸せなことだとおっしゃっていました。

私達の年代からすると、ご飯を腹いっぱい食べられるのは当たり前のこと。ご飯を腹いっぱい食べれない生活をとても惨めに感じてしまいます。

物が溢れて物欲を満たすことが当たり前になった現代では、食べることは当たり前で、それだけでは満たされず、何かの目標を持ち進んだ時に目標を達成できなければ、生きている価値すらないと自分で自分を追い込むような時代になりました。

夢に破れて生きる価値がないと落ち込んだことがある方もおられるのではないでしょうか。

時期的に「今まさに落ち込んでいる…」という方がおられると思います。

今どんな状況であれ最低限必要なものがあればとりあえずは良しとしましょう。

生きていくために必要なのは食べることです。戦後を思えば必要最低限の移住食ができているならそれ以上は贅沢なことだと思います。

「夢が叶わなかったから価値がないのではありません」

「夢がないから生きる価値がないわけではありません」

「なんの取り柄もないオマエなんか生きている価値すらない!」と言われたことがありますか?

言われたのは私ですが、そんな価値のない私は今でもずっと生きています。酷いことを言う人がいるものですが、誰に生きてる価値がないと言われようが、生きている価値がない人などこの世にひとりもおりません。

あと、皆様が一度は考えたことがあるかもしれないこと、私も人生に行き詰まった時に考えたことです。

「自分はこの先ひとつも良いことないし生きている意味がない」とか「なんで生まれてきたんだろう…」「なんの生き甲斐もない生活に、生きていてもしかたがない…」など考えたことがあるのではないでしょうか。

「いやいやそんなことは考えたことはないよ」とおっしゃる方は常に目標を持って生きてこられたと思います。私も見習わなければならないと思います。

誰かに生きてる価値がないと言われようが、自分で生きている価値がないと思おうが、生きることについてスピリチュアルでは以下のように言います。