因果応報の気づきを与えられていることも… | スピリチュアル専門サイト

因果応報の気づきを与えられていることも…

【門次郎のスピリチュアルブログ】

因果応報の気づき

この世には、良い事があれば悪い事もあるというのは当然だとお話させて頂いておりますが、悪いことを罰だと捉えるかどうかはどうでしょう?

良く「そんなことをしてるとバチが当たる」とか「天罰が下る」とか言いますが、そもそも悪い事が起こるのを罰だと言うべきかどうかは疑問が残ります。

確かに悪いことをしたり、悪い思考を巡らせているとトラブルに巻き込まれることが多くなるのは確かです。人を傷つければ、いつか自分が傷つけられます。

それを天罰と言えばそうかもしれませんが、それは「傷つけてはいけないよ」という気づきを与えるための因果応報です。

他にも、努力をした結果芽がでるというのも、努力をしたことへ対する因果応報です。

「遊びほうけていたらロクな人生にならないよ」と言われていた人がロクな人生にならないのも因果応報です。

天罰とは、天が罰を与えるという解釈もできますが「身から出た錆」であり因果応報のことです。言い方を変えると、未来の自分に対して自分で罰を与えていることになります。

すべては、身から出た錆であることに違いありません。

罰を与えた天を憎むのではなく、未熟だった自分を省みることが大切です。人は必ずその機会を与えられます。

この世に起きる悪い事はどんなことでも、ただの罰ではありません。そこにあるのは学びです。

未熟さに気づかせ、正すことが罰と言えるのでしょうか。罰というよりも正しい方向へ導くお導きです。罰ではなく指導です。

人のせいにしている限りは気づかない

これも人間関係に悩んだことのある人なら皆、お分かり頂けると思うのですが、自分自身の言動にも原因があって人間関係が上手くいかなくなったのに、向こうが悪いと相手を責めているだけではなんの成長もありません。

人間関係がこじれる時に、相手だけが悪いということはありません。必ず自分にも、見直さなければならない所があるからこじれるのです。こじれる事から気づきを与えられているのです。

もしも、自分に何の落ち度もなく相手が100%悪いんだと言うなら、また別の人とでも同じようなことで人間関係がこじれる日が来るでしょう。

問題が起きた時に、自分の何がいけなくて相手を怒らせてしまったのか、不快にさせてしまったのか、それを考える人は同じこと繰り返さずに成長していくことができます。自分を省みて正していく、それが成長です。

自分を省みない人、省みようとしない人は必ず同じことを繰り返します。自分を正さなければならないという気づきを与えられていることに、気づかなければなりません。

しかし、同じことを繰り返したからといってそれを恥じることはありません。私も同じことを繰り返しながら少しずつ変わってきました。

人は失敗を繰り返して成長していきます。物事を深く理解するためには失敗を繰り返す事も必要なのです。

しかし、先ほども述べたように、人のせいにしているうちは変わることができませんので、成長の妨げになります。

いくら自分が被害者であれ、被害を受けた自分にも非があります。自分は被害をだからと相手を責めても成長しません。それどころかまた同じことが起こります。被害者であれ、何かしら落ち度があったことろを省みることが大切です。

被害に遭うのにも原因がある

今からする話は、反感をかうかもしれません。

被害に遭われた女性は本当に災難で心に深い傷が残るでしょう。本当に悪いのは加害者ですが、被害者にも非があることをお分かり頂くための酷いお話をさせて頂きます。

これは私の話ではなく聞いた話ですが、現実に起きていた昔の話です。

私の若い頃は、車でナンパするということが一部の人の間で支流になっていました。

今のように誰もが携帯電話を持っている時代ではなく、携帯と言えば平野ノラさんが持っているバブリーなデカイ携帯でした。連絡は家の電話か公衆電話という時代です。

今のナンパ事情を知りませんが、当時のナンパは、街中に行けばナンパ待ちしている女性がいたものです。

ナンパ待ちしている女性のもとに車を停車、少しの会話をして気が合えば、女性が車に乗って来るというようなナンパが一部の人の間で流行っておりました。

見ず知らずの男性と少しの会話をした後に、その車に乗るという大変危険な遊びです。

これは聞いた話ですが、当時の車は全フィルムを貼っていて、外から中が見えない仕様の車もありました。

女性が車に乗り込むと、息を潜めていてた男性数人が現れ女性を取り押さえる。

そして、山中の人気のないところに連れていき強姦。事が終わると山中に置き去りにして帰る。という話を聞いたことがあります。とても酷い話です…

被害に遭ったのは女性、悪いのは当然強姦目的で連れ去った男性達です。

しかしこの場合、女性に非がないと言えるのでしょうか?

少なからず、見ず知らずの男性の車に安易に乗り込んだのは、、女性にも非があると言えるのではないでしょうか。

あまりにも酷いのであれですが、何かのトラブルに巻き込まれたとしても自分に何ひとつ非がないということはあり得ません。何かしらの原因がありトラブルに巻き込まれるのです。

この世は原因があり結果あります。どんな出来事にも原因となることがありますので、上手くいかないことがあれば人のせいにする前に、自分を省みることをしてください。

自分を省みることで、少しずつでも変えていくことができます。腹の立つ相手と偶然縁ができたとしても、そこには何かしらの気づきがあるので、自己分析をして問題解決を目指しましょう。