死を意識して生きることは大切、遺された人達に意志を伝えておきましょう | スピリチュアル専門サイト

死を意識して生きることは大切、遺された人達に意志を伝えておきましょう

【門次郎のスピリチュアルブログ】

死を意識して生きる

死を意識して生きると聞くと、おどろおどろしい感じがするかもしれませんが、命には限りがあると思う事はとても大切な事です。

子供の頃は自分がいつか死ぬなんて考えられなかったですし、死はとても恐ろしいものだと考えていました。

「死=消滅」と考えており、死ぬ事は得体の知れないとても不幸なことのように思っておりました。

「死んだら終わり」という言葉がありますが「終わりません」死ねば肉体の無いステージが始まるだけです。死んだからといって意識はなくなりません。

このような事を書くたびに「死んだら無でしょ?嘘つき!」と言われてここまで来ましが、私は死んでも無にならないと考えております。どちらが正解かは死んだ人にしかわかりません。

ですが私は死んでも無にならないと思っているので、その観点から書いております。「あの世など無い派」の方も読まれる事がありますが、私の観点から書いている事ですのでご了承ください。

話を戻しますが、死を意識して生きるのは大切な事です。

死を意識して生きることの大切さ

死を意識するとこの世の時間が限られている事に気づきます。生きている時間が貴重な時間だと認識して生きる事で、時間を無駄にできないと考えるでしょう。

もしも、余命宣告を受けたら「残された時間で何ができるか?」を真剣に考え、悔いの残らないように余生を生きるのではないでしょうか。

会っておきたい人や、感謝を述べておきたい人、謝罪したい人もいるかもしれません。

死を宣告された事で、生かされてきた事への感謝の気持ちが芽生えたり、自分を支えてくれる人のありがたみを深く感じたりすることでしょう。

私は以前の仕事柄、ご高齢者の身辺整理もやりました。「いつ死んでも子供達に迷惑がかからないように」と、ご親族の事を考えてご依頼される方も多かったです。

死を意識することは限られた時間を大切に生きる事に繋がります。

逆に死を意識しなければ、のうのうと生きて時間ばかりが過ぎていきます。あれもこれも後回しにして「中身の薄い人生だったな…」と思いあの世に還らなければなりません。

生まれてきたからには濃密な人生を送らなければなりません。私達はグループ・ソウル(あの世の家族)の代表として生まれてきたのですから、「なに命を無駄にしてんだよ〜」と言われないように一生懸命生きなければなりません。

短い人生「あっ」という間に終わってしまいますので、常に目標を持って邁進していくのが私達の役目です。

限られた時間と考えて生きる

人は生まれた時から刻一刻と死に向かって歩いています。

死が早いか遅いかは寿命によって違いますが、いつか死ぬという宿命は全員が持っています。

のんびりしている暇はありません。

見栄を張っていいカッコをしたり、嘘をついて取り繕ったり、過ぎた事を悔やんでいる暇もありません。そんなところに労力をかけても時間がもったいないのです。

ありのまま、まっすぐな心で前を向いて歩いていくのが、私達が生きる道ではないでしょうか。

人生は限られているのに不幸の数ばかりを数えて生きても何も楽しくありません。小さな幸せを感じて感性を養い少しでも幸せを感じる人生のほうがよくありませんか?

小さな幸せに気づくことは、運命を味方にする事であり、幸せへと近づくコツです。

人生には後悔がつきもので、犯した過ちを反省することは大切ですが、いつまでも引きずらずに切り替える事も大切です。

反省する時は感情で反省してはいけません。感情が先立つと何が正しくて間違いなのか分からなくなる事があります。反省は感情ではなく理性的に考えなければなりません。

遠回りをして気づく事もあれば、マイナスまで堕ちて気づく事もあります。それでも無駄な経験ではありません。遠回りになる事もマイナスになる事も気づきの為に必要な経験です。

死に向かって生きている自覚を持つ事で時間の大切さを知り、残された時間でやるべき事を精一杯行なうのが濃密な人生だと思います。

「私達の時間は限られている」ことを意識して生きる事で無駄を減らす事ができると思います。

死は不幸な事ではありませんが、生きているうちにできる事を精一杯して、悔いのない人生を送りましょう。

遺された人達の為にすべことをする

「遺された人達の為に…」などと言うと「縁起でもないことを言うもんじゃないよ」と怒られそうですが、人は生まれた時から死に向かって歩いています。

いつの日かく来る「死」は誰もが避けて通れない現実です。その現実から目を背けるのではなく、突然やってくるかもしれない死に対して準備をしておくことは決して悪いことではありません。

「準備をするなんて縁起が悪い」とおっしゃるかもしれませんが、準備をしてもしなくても寿命が変わることはありません。「死」は生きている人からすれば縁起でもないことかもしれませんが、それは「死」を穢れと考えているからであって、本当はこの世の修行を終えて天国に還ることなので、穢れではなく卒業を意味しています。

誰にでも起こる「死」から現実逃避をするよりも、旅立ちの日に備えておくことは大切なことです。

死に対しての準備

私は以前工務店で働いていたので、リフォーム工事を請け負っていました。

工務店の親方というのがご年配の方で、長年付き合いのあるお客様は、親方と共に歳をとった方がたくさんおられました。

その中に病気を患って身動きが取れなくなってしまった80歳のお爺様がおられました。お爺様は奥様と二人暮らしです。

お爺様は日に日に弱っていき次第に寝たきりになられました。意識がハッキリしていて会話ができるものの身動きが取れない状態です。

そんな状態になり自分の死期が近いことを感じていたのだと思いますが、お爺様は私達にリフォーム工事をご依頼されたのです。

用を足しにくいトイレの工事や、家の中に手すりをつけたり、快適に暮らせるように冷暖房設備をつけるなどの工事を請け負いました。

お爺様は自分のためではなく、遺された奥様が不自由をしない為に工事を依頼されたのだと思います。

工事が完了してもお爺様がトイレを見ることも使うことはありません。奥様のためを想いご依頼をされたのです。

そして工事が終わり2ヶ月もしないうちにお爺様は天国に還っていかれました。

ご年配者の方の中には、自分が亡くなった後に遺された家族やお子様に迷惑をかけないように工事を頼んだり、ゴミの清掃を頼まれる方もおられました。

親族に迷惑をかけないように準備をしているという方を私は何人も見てきました。寿命はわからないものですし、突然やってくる死に備えることは遺された人への礼儀かもしれません。

遺された人達へ自分の意志を伝える

思うような最期を迎えたいと思うのなら、それなりの準備をしておくことは必要です。

自分の死後誰が遺品整理をしてくれるのでしょうか。飼い犬や飼い猫の面倒は誰が見るのでしょうか。遺産はどのように割り当てるのでしょうか。自分の死を誰に伝えてほしいのでしょうか…

などなどいろいろありますが、自分の意志を明確にしておかなければ安心して天国に行くこともできません。亡くなってから慌てても生きている人には伝わりませんし、それでは心配で天国に上がれないといった不本意なことにもなりかねないのです。

「死ねば終わり」と遺された人達のことなどどうでもいいとおっしゃる方もおられますが、それは自分勝手かもしれません。

自分の意志を伝えなかったことで困るのは遺された人達です。遺された人達のことを考えるのはマナーではないでしょうか。

自分が亡くなった後にしてほしいことや、しなければならないことなどを生前に伝えておくことで、遺された人達が迷うこともありません。

死について考えることは、今を精一杯生きることにも繋がります。「死」という現実から目を背けるのではなく、いつその日が来てもいいように悔いなく生きること、遺された人達へ自分の意志を伝えておくことは大切なことだと思います。