友達に依存しすぎてはいけないスピリチュアルの意味とは | スピリチュアル専門サイト

友達に依存しすぎてはいけないスピリチュアルの意味とは

【門次郎のスピリチュアルブログ】

友達に依存しすぎてはいけない

友達への依存心

友達との約束をキャンセルされた。ラインが既読になっているのに返事がない。そんな時に寂しいと感じるのは、相手に期待していることのあらわれ。

こうした思いは誰もが持つことかもしれませんが、友達に依存する気持ちが強くなりすぎると何かと不具合が起こるもの。

もしも、自分の話になんでも共感を持ってくれる人を望んでいるのであれば、傷口を舐め合う関係を望んでいるに過ぎないかもしれません。

「その何がいけないの?」と言いたくなるかもしれませんが、いけないと言うわけではありません。しかし、そういった関係は友だちを依存できる関係と捉えていて、いつ衝突が起きても不思議ではない関係です。

例えば「熱を出して寝込んでいるのに友達は見舞いにも来てくれないし、心配すらしてくれない…」と凹んでしまったり、「私がこんなにも悩んでいるのに友達はケロッとしている…」と気持ちを分かち合えていないことに虚しさを感じたり…

友達に依存するということは、それだけ期待をしてしまい、期待を裏切られれば相手を恨むことにもなりかねません。依存心が強ければ強いほど関係性が崩れたときの溝も深くなります。

友達は人生を引き立ててくれる存在ですが、そこに全身全霊をかけて依存するものではありません。

友達に依存や期待をしてしまう人の中には、してもらうことばかりを考える人もおられます。

しかし、相手に期待をする割には自分が同じ期待をされても答えられない等もあると思います。人のことはよく見えるものですが、自分のことは見えないものです。

そのような人に限って、自分が困った時に黙ってお金を貸してくれるのが真の友情などと捉えています。

しかし、いざ自分が貸す側になった時に黙ってお金を出せるのか?ということは考えません。おそらく無理でしょう。

自分ができないことでも相手に求めてしまようでは、何かあった時にはすぐに関係が崩れてしまいます。

友達は人生を引き立ててくれる存在ですが、現実的に助けてくれる存在ではないと捉えていたほうが良い関係性が築けるのではないでしょうか。

こんなことを言うと嫌な人だと思われますが、依存心から良い関係を築くことは難しいことなのです。

親切心が仇となる

よかれと思ってしたことが、感謝されるどころか迷惑をかけられてしまうという事もあります。

親切心が受け入れられなかったり、敬遠されたりするのには訳があります。

「親切にしたのになんだあいつ!」と思うのには、親切にした動機が関係しています。

親切にしてあげようとする心だけを見ると、一見無償の愛のようにも見えますが、その胸の内を明かせば「自分をよく見せたい」「自慢したい」「恩を売っておきたい」という下心があるのではないでょうか。

本当の親切とは見返りを求めない親切です。

「してあげたのにしてくれない」と思うのは自己愛なのです。親切にすることは大切ですが、その気持ちに下心があったり押し売りになってしまっては、親切の種を蒔いても綺麗な花は咲きません。

人に親切にする時は、人の役に立てることへ感謝し、徳を積むつもりで行うとよいです。徳を積んでおけば、その場で返ってこなくても巡り巡って返ってきます。

徳を積んだことは、忘れた頃に返ってくると思っているくらいでちょうどいいです。

人は自分がやろうと思っていることを「やりなさい」と言われると「わかってる!」と腹が立つものです。いくら早くしたほうがいいと思って勧めたことでも、相手にしたら「自分のペースがあるのに」と腹が立つ事もあると思います。

自分がいいと思うことを相手もいいと思うとは限りません。価値観は人それぞれ違うのにそれを「絶対これいいから!」と押し付けては押し売りと同じです。

例えば、食べたくないものを「絶対に美味いから食べてみて!」と無理やり食べさせられても嬉しいものではありません。行きたくない会合に無理やり連れていかれても楽しくありません。それは押し付けた人の自己満足の押し売りになります。

必要なのは洞察力や観察力、相手が本当に望んでいることを見極めなければなりません。