善意と悪意のバランスは魂年齢の違い|悪意で生きて幸せになれない理由とは | スピリチュアル専門サイト

善意と悪意のバランスは魂年齢の違い|悪意で生きて幸せになれない理由とは

【門次郎のスピリチュアルブログ】

この世に善意100%の人はいない

「この世に善意100%の人がいない」などと言うと、なぜか悲しい気持ちにもなりますが、どうしてそんなことが言えるのか。それは、私達が生まれてきた意味にあります。

私達が生まれてきたのは、未熟な魂を成長させるためです。

私達の故郷である霊界には、ソウルメイト(類魂)という魂の家族がいます。

私達は魂の家族の未熟な部分を請負い、未熟な部分を正すために生まれてきています。そのため生まれながらにして魂の未熟な部分(悪意)を持っています。

私達は、この世に生まれている時点で、誰もが光の部分と闇の部分を持った表裏一体の魂なのです。

もしも、善意100%の魂なら生まれる必要はないのです。善意100%の魂、それをすなわち神と言います。

だからこの世には、善意100%の人はいないのです。

悪意から善意を学ぶ

悪意と善意の比率が魂の成熟度に関わってきますが、未熟な魂であればあるほど、悪意の比率が高くなります。

誰もが未熟な部分を持った魂です。どんな未熟さをどの程度多く持っているのかは、人の性格が違うように、それぞれの魂によって違います。

しかし、どの魂にも共通して言えるのは、「この世は、自分の弱さや未熟さを炙り出される世界」だということです。

弱さや未熟さを炙り出されるからこそ、正すべきところが見えてきます。

炙り出された弱さが悪意を生み、間違いを犯すこともあります。

善を限りなく100に近づけ、悪を限りなく0に近づけることが望ましいのですが、悪意がいけないと自覚するためには、悪意を持ち生きることを経験し、失敗する必要があるのです。

「悪いことは悪い」決して許されることではありませんが、魂の視点からは悪意も善意を生むための経験になっており、悪意からは本当の幸せを手にすることができないと思い知る必要があります。

悪意のまま生きることは楽ではない

自分の利益や欲のために、人を傷つけ殺めてしまう人もいます。人の性格がそれぞれなように、魂の成熟度もそれぞれです。

そのような魂でさえ、魂の未熟さに気づき正していくために生まれています。

魂によって経験することは様々ですが、最終的には悪意を減らしていく目的を持っているのはどの魂も同じです。

自分の利益や欲求を満たすために、悪意のまま生きる人が幸せだと思いますか?

人を騙したり、酷いことをしてお金を奪い豪遊している人もいますが、そんなことで得たお金で豪遊しても本人は幸せだと思いますか?

どれだけお金を手にしても、高価な物で自分を満たそうとしても、いくら手にしても満足できないことに困惑しているのではないでしょうか?

人から恨まれ、欲にまみれ、物質を失うことに怯える毎日、物質的主義に溺れ、心の満足が得られない人生が幸せと言えるでしょうか。

人を蹴落とし騙してもお金を得たいという欲求に駆られている人は、心も休まることもなく、人を信用することもできず、いつも何かに追われて焦る人生になります。

悪意で生きていくのは、それはそれでいて心からの幸せを感じられない苦しい経験です。

空虚感に悩み、罪を犯し続けることは、心と体を荒ませていくことになります。

それが悪意で生きている人の現実です。悪意で得たお金で人は、心からの幸せを得ることはできないのです。

悪意に満ちた人は決して特別ではありません

魂は、輪廻転生を繰り返しています。

その中で少しずつ魂を成長させ成熟していきます。

悪意に満ちている人を、特別な悪人に見えるかもしれませんが、何も特別ではありません。

現在、仏のような心を持った優しい人でも、過去世をたどれば、悪意に満ちている一生があったはずなのです。

魂は、輪廻転生を繰り返す中で、人の痛みがわかるようになります。それが、魂が成熟するという意味です。

輪廻転生を何度も繰り返した魂は成熟しているので、仏のような優しい人格を形成することができます。

悪意に満ちている人は、魂年齢が幼く、経験が浅いので、人の痛みがわかりません。だから平気で人を傷つけるのです。

しかし、どんなに成熟した魂であれ、魂が幼かった頃には似たような過ちを犯しているのです。

罪を犯す人を擁護するつもりはありませんが、どんな魂であれ学んでいるのです。

人は善意に目覚めるために悪意を経験します。もしも自分の中の悪意に気づき、正そうと思ったのなら、その時がチャンスです。

幸せになりたければ、悪意ではなく善意の心を持つことです。そうすれば、心に平穏が訪れ幸せを感じることができるでしょう。