グループソウルとは魂の家族、善と悪どんな人であれ全ては類魂である | スピリチュアル専門サイト

グループソウルとは魂の家族、善と悪どんな人であれ全ては類魂である

【門次郎のスピリチュアルブログ】

グループソウルとは魂の故郷

私達は、輪廻転生を繰り返して魂を成熟させていきます。輪廻転生の繰り返した回数が多い魂ほど、魂の年齢が高いということになります。

魂の年齢が高くなり魂が成熟してくると、本当の意味で愛を持つ人格へと成長していきます。

そんな成熟した魂でも、元はと言えば未熟な魂だった時代があります。

未熟な魂を一言で表すなら、人の気持ちをわからずに、自分本位で生きる魂のことです。

自分の利益のために、人を騙したり、苦しめたり、蹴落としたり、殺めたり、そういった魂は魂年齢が幼くまだまだ未熟な魂と言えるのです。

しかし、とても素晴らしい人格者で成熟した魂であっても、過去世をたどれば、未熟な魂と同じことをしていた時代があります。

どんなに成熟した魂であれ、この世に生まれてきているのは未熟な部分があるからで、未熟な魂も成熟した魂も、魂の成長のために生まれてきています。

そういった意味では、未熟な魂だからとこの世から排除すれば良いというわけではありません。未熟な魂もこの世で学ばなければならないのです。

そういった意味では、罪を犯してしまった人にただ罰を与えるのではなく、どうして罪を犯してはいけないのかを心から理解してもらわなければなりません。

どうして我欲のために悪いことをしてはいけないのかを分からずに、罰だけ与えられても十分な魂の成長とは言えないでしょう…

この話は最後にさせて頂くとして、どんなに未熟な魂も成熟した魂も、スピリチュアルの視点では、赤の他人とは言えないという話をさせて頂きます。

未熟な魂も成熟した魂も皆同じグループソウル

霊界には、グループソウル(類魂)と呼ばれる家族がいます。

そのグループソウルの考え方としては、クラスメイト規模の狭い意味でのグループソウルの考え方と、世界規模の広い意味でのグループソウルの考え方があります。

クラスメイト規模の小さなグループソウルは、自分のこれまでの前世の経験と感動が含まれていて、自分の魂の歴史が刻まれている魂の家族です。

誰もが、このクラスメイトの代表としてこの世に生まれています。ここにあなたを守っている守護霊様もおられます。担任の先生という位置でしょうか。

あなたのクラスの隣には別のクラスがあり、違う階には別の学年があり、学校全体にはもっとたくさんのクラス、市町村にはもっとたくさんの学校が、日本全体にはもっと…世界全体にはもっともっとたくさんの学校があります。広い意味でのグループソウルの考え方としてはこのようになります。

世界には、数え切れないほどのクラスがあると思いますが、そのクラスメイトの代表として皆、この世に生まれています。

私達は皆、神の未熟な部分から生まれた未熟な魂です。魂を成長させ、また神に戻ります。目的は皆同じ、魂の成長のため、いずれ神と同化する為です。

皆、出所は同じですから、魂に赤の他人という概念はありません。

このように広い意味でグループソウルを捉えるなら、世の中の人全てが自分であり、神もまた自分なのです。

成熟した魂も、幼い魂も、この世界で関わり、切磋琢磨している自分なのです。

スピリチュアルの世界では、私達も神の一部であり、どんなに凶悪な人であれ、悪魔であれ、神の一部と考えます。

そう考えると、魂の視点でもこの世の視点でも、自分以外の者を赤の他人とは言えないのです。

この概念があれば、因果応報の意味も納得がいきます。人を傷つけるれば自分に返るのは、自分を傷つけているからです。

人が人を裁く

世の中の人全てがグループソウルという概念があるなら、人が人を裁く行為も、自分で自分を裁いている行為になるのです。

罪を犯した人を自分とは別者として裁く事は、スピリチュアル的にはおかしな話です。

とはいえ、無法地帯にするわけにもいかず、本当に難しいところだと思います。

罪を犯した人を世の中から排除すればいいと考えるのは当たり前の感覚に思えますが、その感覚というのは利己的な考え方で小我となります。

本当の意味での愛を考えるなら、罪を犯した人に罰を与えることを目的とするのではなく、その人の魂が自分の犯した罪の重さに気づき、深く反省して二度と同じ過ちを犯さないと誓えるようになる事ではないでしょうか。

罰ではなく、気づきを与えることが、本当の意味での魂の成長となります。

「人を殺めた人は死ねばいい」と思うかもしれませんが、反省することなく死刑になるよりも、生きて自分のしたことを悔やむ時間が必要とも言えます。

被害者ご遺族のことを考えると死刑が妥当なのかもしれませんが、死刑にすれば罪を終わらせることになるのかもしれません…

生きて罪の大きさに苦しみ反省することが、罪を犯した人が背負う十字架との見方もあると、私は思います…

ずいぶん深い話になってしまいましたが、世の中の人全てがグループソウルであるというお話でした。