意地悪をする人は幸せになれない、優しくできない2つの理由とは | スピリチュアル専門サイト

意地悪をする人は幸せになれない、優しくできない2つの理由とは

【門次郎のスピリチュアルブログ】

人が悪意を形にするのはなぜか?

人は、未熟だから生まれてきます。完璧な人は、生まれてこないとスピリチュアルでは言われています。

善意に満ちた人、悪意に満ちた人、善悪のバランスこそ違えど、誰もが悪意を持って生まれています。

悪意と聞くと、人を殺めたり犯罪を犯してしまうほどの悪意を想像するかも知れません。しかし、人の悪意は犯罪に関わらず私達の日常にも溢れていて、誰もが悪意を持ったり持たれたりした経験があるはずです。

例えば、人の陰口を言っていたり、腹いせに仕返しを考えたり、ダメなやつだとバカにしたり、無視してみたり、仲間はずれにしたり、ちょっとした意地悪をしてみたり、人の不幸を笑ってみたり、偉そうにしてみたり…

犯罪にはならないにしろ、私達の日常の中には悪意が潜んでいます。

人は、困っている人を助けようとする優しい心を持っている反面、どうしてこのような悪意を持っているのでしょう。

誰もが未熟な魂だから悪意を持っているのですが、それが人の弱さであり、無知だから悪意を形にできるのです。

人は弱いので悪意を持ちますが、因果応報を知っていれば、それを実行することを躊躇します。平気で悪意を形にできるのは無知だからです。

人が意地悪をしてしまう2つの理由は、「弱さ」と「無知」です。

幸せな人は意地悪をしないのはなぜ?

「幸せな人は意地悪をしない」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

これは本当のことで、意地悪をする人は必ずと言っていいほど幸せを感じていません。

いくら地位や名誉があって、物質的に恵まれていたとしても、幸せを感じていなければ、幸せとは言えません。そんな人は、やはり意地悪をします。

ネット社会になり、インターネットを使った誹謗中傷が問題となっています。

あることないこと書かれて、追い詰められている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

人を誹謗中傷して憂さ晴らしをすることで、幸せになれる人などおりません。負のカルマを撒きまくっているわけですから、いつかその尻拭いをさせられる日がきます。

人を蹴落としナンバーワンに踊り出たとしても、長くは続かないし、その代償は計り知れません…

私もネットを使って仕事をしていますので、事実無根の誹謗中傷を受けることもあります。

ネットは顔が見えませんから、罪悪感も少ないのでしょう。平気で悪評を流し、嫌がらせをする同業者がいるという話は良くある話です。

露出が多くなれば、必ず妬む人もでてきます。妬まれるほうとしては、それも人を知るための勉強ですが、私は悪評を流されても、それだけ注目を集めているからだとポジティブに考えるようにしています。

顔が見えないだけに、悪意のある人はやりたい放題ですが、行なっている人は不幸の種を蒔き続けていることに気づかなければなりません。

真剣に仕事に取り組み、仕事や友人や家庭に恵まれている人は、人を誹謗中傷してあざ笑ったり、蹴落とそうと考えたり、妬む暇もありません。

なぜ意地悪をするのか?

その答えは簡単で「弱いから」です。

自らの力で弱さを克服し、幸せを掴むことができないから、人を蹴落として自分がのしあがろうとしたり、意地悪をして憂さ晴らしをするのです。

そのような心で、幸せが訪れるでしょうか?

いずれ与えられるのは、やってきたことへの気づき(償い)です。

つまり人に対して意地悪をする人は「私は不幸です!」「いつか因果応報で同じ目に遭います!」と己の恥を晒しているようなもの…決して胸を張れることではないのです。

幸せな人は、こうした意地悪をしません。

それはなぜか?

幸せを感じている人は、善意と悪意のバランスが善に偏ります。

そのため、人に悪意を向けるのではなく、自分と同じように幸せを感じて欲しいという良心が湧くようになります。

不幸な人が人の不幸を見ると「ざまぁみろ」と思いますが、幸せな人が人の不幸を見ると「助けてあげたい」と思うはずです。

「人の不幸は蜜の味」という言葉がありますが、これはまさに幸せを感じる感性が薄い不幸な人が言うセリフです。

このことからもわかるように、人の幸せを願えるようになるには、まずは自分が幸せにならなければいけません。

人に意地悪をするのは、とても未熟な証拠です。意地悪をしても自分に返ることを忘れてはいけません。

あなたにもし、意地悪をしたい気持ちが芽生えるなら、己の未熟さと受け止め、他に力を注ぎましょう。

人の幸せを願える感性を持つことが、幸せへの一歩になります。