見て見ぬ振りをする罪、いじめを知らん顔するのは罪になるのか? | スピリチュアル専門サイト

見て見ぬ振りをする罪、いじめを知らん顔するのは罪になるのか?

【門次郎のスピリチュアルブログ】

いじめを見て見ぬ振りするのは罪なのか?

見て見ぬ振りという罪について

人にとってさほど影響がなく、どうでも良いことであれば見て見ぬ振りをすることについて特に何も感じませんが、これがいじめになると大きな問題になります。

いじめを見て見ぬ振りするのは、いじめている人と同じで、同罪との意見もありますし、見て見ぬ振りするだけでいじめと同罪など納得がいかないという意見もあります。

この見て見ぬ振りをスピリチュアルの視点ではどのように解釈されるのか、お話をさせて頂きたいと思います。

いじめを見て見ぬ振りすることは罪?

いじめをする人の心は悪意に満ちていて、とても恥ずかしい行為に違いありません。

幸せを感じている人は、いじめをしません。いじめをする人は、いじめで現実逃避をして憂さ晴らしをしているだけです。

いじめている人は「私は不幸でみじめです。自分自身をコントロールできません」と晒しているようなもので、未熟で恥ずかしい行為です。

そのいじめを見て見ぬ振りするのは、少なからず悪意が存在しています。そして、見て見ぬ振りすることも恥ずかしいことだと言えるのです。

厳しいですね…

いじめを見て見ぬ振りしている人は、自分がイジメのターゲットになっていた可能性もあります。自分がイジメのターゲットにならなくて済んだと安心しているでしょう。

また、見て見ぬ振りをしているだけで、直接手を下していないから自分は悪くないと、罪の意識が少ないこともあるでしょう。

しかしスピリチュアルでは、見て見ぬ振りは自分の弱さの表れであり、罪であると言われています。

因果の法則(因果応報)を当てはめて頂ければわかりますが、見て見ぬ振りをした行為は因果応報でいつかは返ってくるからです。

返ってきたとき、同じように見て見ぬ振りをされて、見て見ぬ振りをする人の冷たさがわかり、いじめのターゲットにされ、いじめられる辛さを知ることになります。そこで、見て見ぬ振りされる側は辛い気持ちになるという事を身をもって知ることになります。

ですから、スピリチュアルでは見て見ぬ振りは罪とされます。

いじめを強要されたら自分に嘘をつくのをやめる

いじめの首謀者はだいたい傲慢ですから、人にいじめを強要することがあります。

本当はいじめたくない、やめさせたいと思っていても、一緒になってやらなきゃ今度はいじめのターゲットされてしまうから、嫌々いじめる人もいると思います。

しかしそれは、いじめているほうも苦痛でなりません。ターゲットからはずされたのは良いですが、いじめたくないのにいじめるのは自分に嘘をついているから苦痛になります。

いくらいじめの首謀者が怖いからと言っても、いじめを強要されるのは、言いなりとなり、いじめられているのと同じです。

もしも、大人になってまでそんなグループに属しているなら、一刻も早く抜け出しましょう。自分に嘘をつき続けることを一刻も早くやめなければなりません。

なぜ、そんな人達と仲間でいなくてはいけないのでしょうか。

孤独になることへの怖れをなくす

私達は、群れると安心する弱さを持っています。その弱さが、グループから抜け出せないようにしているのではないでしょうか。

私達はもっと孤独を愛し、孤独に強くなる必要があります。

人は、自立すべきものです。

群れることを第一にするのではなく、ひとり立ちを軸にして考えなければなりません。

群れることを軸に考えると、グループから抜け出せなくなり、首謀者の悪意に振り回され、自分に嘘をつき続けなければならなくなるのです。

まずは、孤独に強くなりましょう。

いじめグループから抜け出せば、自分に嘘をつく必要もありません。正しいことは正しい、間違いは間違いと、自分の意思で生きられます。

そうすると、自立することの喜び、自分の意思で判断できる喜びを感じられます。

そして、人付き合いを腹六分にして、丁度良い距離で接すれば、人に翻弄される必要もありません。

自分さえその気になれば変わることができます。

自分に嘘をついている方は、嘘をつかずに生きられる道を選びましょう。