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物で心は満たせない、お金の使い道についてスピリチュアルを基に考える

【門次郎のスピリチュアルブログ】

物で心は満たせない、お金の使い道について

お金の真理
「自分のために使ったお金は返ってこない。人のために使ったお金は返ってくる。」

だからと言って、自分のために使うお金も決して悪いことではありません。自分に対するご褒美がなければ頑張る気も起きませんし、お金は頑張った分の対価であります。

欲しい物を買うということ自体も、心が喜ぶ感動を得られる体験です。物欲しさに頑張って努力した過程も大切な経験になります。

ただ勘違いをしがちなのは、何でも欲しい物を手にすることが幸せなのか?というとそうではありません。所詮は物でしかないので、どんなに高価な物でもそれまでのこと。

どんな物あれ所詮は物でしかないこと。そして、その物はあの世に持っていけないという価値観を持ち合わせておかなければ、亡くなった時に物への執着が成仏の妨げになります。

そして、物を買うことで心を満たそうとすると、終わりのない買い物依存症へとなってしまいます。所詮は物、どんな物を手にしてもまた違うものが欲しくなり終わりがありません。

あるゴミ屋敷の話

あるゴミ屋敷の遺品整理をしたことがあります。亡くなったのは一人暮らしをしていたご年配の女性でした。

分譲マンションの一室でしたが、部屋の中は人ひとり歩ける分の通路と、寝床の布団以外は全てゴミの山でした。そのうちの一部屋は人の身長ほどがゴミで埋め尽くされておりました。

そのゴミのほとんどが衣類、日用品、レトルト食品、調味料など、スーパに行けばすぐ手に入るようなものばかりでした。

おそらく、安売りの値札のついている物を買って心を満たそうとされていたのだと思います。カップ麺をまとめ買いしたり、石鹸をまとめ買いしたり、醤油をまとめ買いしたり、同じものが束になってゴミの中から出てきました。ゴミの下には20年前のカップ麺も埋まっていました。

物を買うことで心を満たそうとされていたのは、その光景からしてもわかることです。しかし、いくら物を買っても心は満たされません。欲求を物で満たそうとすれば終わりのない買い物依存症になってしまうのです。

遺品整理をすると、その人の人生も見えてくるものですが、若い頃は身売りをして稼いでいらしたようです。若い人なんかは、身売りは簡単にお金を手にする方法だと思われるかもしれませんが、決して楽ではありません。

身売りをすることは、ある意味自傷行為になりかねません。知らず知らずのうちに自分を傷つけ、精神のバランスを崩される方が大勢いらっしゃいます。

お金が欲しいからと安易に行なうことではないのです。お金を手にしても失うものも大きいのです。

お金の使い道

物欲をある程度満たしたのであれば、物を手にするよりも、人との繋がりを大切にして心を満たすことを考えなければなりません。

例えば、余裕のあるお金があるのなら、親孝行のつもりで一緒に旅行に連れていくというのも悪くありません。

いい想い出というのは、親が先に天に還ってしまっても心の中で生き続けますし、そんな家族旅行の想い出があるというのは心を温かくしてくれるものです。

そういった想い出があれば「もっと親孝行しておけばよかった…」とさいなまれることもなく強くなれるものです。

お金があるのなら、自分の為だけに使ってもあまりいいものではありません。

自分の欲しい物をいくら買っても心は満たされず、また違うものを欲しくなります。

そのお金を誰かのために使うなら、人の心と触れ合うことができるので心も満たされます。見返りを求めてはいけませんが、相手からも感謝をされます。

お金をどのように使い、いい想い出をつくり、人生を輝かせるかは価値観の違いで変わりますが、物に執着をしてもロクなことはありません。

欲しい物を手にしたいと頑張ることはいいことですが、それが人生の全てではありません。忘れてはいけないのは、人の心を満たしてくれるのは物ではないということです。

物はあの世に持って還れませんが、想い出はあの世に持って帰れます。本当に価値があるのは心です。心はあの世でも生き続けます。お金という道具を使い心を育みましょう。