大我と小我の意味、真の愛を見分ける4つのポイント | スピリチュアル専門サイト

大我と小我の意味、真の愛を見分ける4つのポイント

【門次郎のスピリチュアルブログ】

大我と小我の意味

スピリチュアルでは、愛を表現する時に「大我(タイガ)の愛」と「小我(ショウガ)の愛」に分けられます。

二つの意味は違います。

大我の愛とは何か、小我の愛とは何かを詳しく説明していきたいと思います。

大我の反対が小我です。大我を知れば、小我もわかります。

大我を見分けるためには、4つのポイントがあると言われています。

まずは、そのポイントから説明させて頂きます。

大我とは
⑴ 見返りを求めない愛
⑵ 親のような大きな愛
⑶ 感情ではなく理性であること
⑷ 結果に対して責任が取れること

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この四つが、大我の基準とされています。

それぞれの意味を詳しく説明させて頂きます。

⑴ 見返りを求めない愛

これが大我の基本とも言えることです。見返りを求めないで愛情をかけられる心は、まさに大我の愛です。見返りとは、物質的なことだけではなく、精神的なことも含まれます。

例えば、「バレンタインデーにチョコレートをあげたから、ホワイトデーのお返しを期待しています!」これは見返りを求めていますので、大我ではなく小我になります。

大我とは、チョコレートを食べてもらえるだけで十分、お返しなどいらないと思うことを言います。

精神的なことで言えば、「あなたにこれだけ多くの愛情をかけてきたのだから、あなたも私に愛情をかけて当然でしょ!」と考えるのは小我です。

大我の愛とは、例え愛情をかけてもらえなくても、愛情をかけられることを言います。「愛したから愛してほしい…」は小我です。

こうした見返りを求める愛を小我と言い、求めない愛を大我と言います。

そもそも人間は、小我の塊です。魂は輪廻転生を繰り返し、この世で揉まれ、様々な経験を通じて少しずつ大我に目覚めていきます。

私達が、小我であるのは当然のことですが、少しでも大我に目覚めることが魂の成長になります。

⑵ 親のような大きな愛

「大我=母性」と言われています。大我を親の愛情だと考えればわかりやすいです。

親の愛には、子供の苦しみを自分の苦しみのように感じられる深い愛情があります。

「子供のためなら死ねる」という言葉を聞いたことがありますが、まさに親の愛です。

自分のことを顧みずに、自身を犠牲にしてまで子供を守ろうする親の愛情は大我です。

また、子供のためを思い、わざと厳しくしたり、嫌われ役を買って出るのも大我です。

嫌われるのが怖いからと甘くなるのは、自分可愛さの小我になります。

それとは逆に、厳しくするのですが、その理由が親としての世間体を気にしてのことなら小我になります。厳しさが本当に子供のためなのかどうかが分かれ目になります。

愛のある厳しさかどうかを見極めましょう。

⑶ 感情ではなく理性であること

大我は、理性そのものとされています。

感情そのものが小我ではありません。

人は感情的になりますが、怒りとか悲しみという感情は小我になります。

小我とは利己愛のことを言いますが、わかってもらえなくて腹が立ったり、愛してもらえなくて悲しくなったりするのも、小我です。

大我であれば、わかってもらえなくて腹を立てることもなく、理性的にわかるまで説明するのみです。

例え愛されなくても、相手が幸せなら悲しみません。愛されたい感情は、自分可愛さの小我な感情なのです。

人は、感情に任せた言動をすることで後悔することがたくさんあります。

「あの時もっと冷静になっていれば良かった…」と誰もが思ったことのあることだと思います。

大我とは感情的ではなく、冷静沈着で理性で物事を考えられることを言います。

⑷ 結果に対して責任が取れること

これは無理をしないといことです。

無理にいいことをしようとしても、自分の器以上のことをすれば、無理が祟ります。

できないものはできないとハッキリ伝えることも大我とされています。

お金の貸し借りでわかる大我と小我

大我と小我をお金の貸し借りでたとえるとわかりやすいと思います。

知人に「一万円貸してほしい」とお願いされて一万円を貸したとします。

約束の期日を過ぎても一万円が返ってくる気配がありません。

問い詰めると「ボーナスまで待って!」と言われました。

するとあなたはこう思うでしょう「借りたものは約束の日に返すのが当然だろ?」と…

確かにその通りですが、大我でお金を貸していれば、返ってこないことに腹を立てません。

どうしてお金を貸したのでしょう。お金を貸した時に可哀想だという思いの他に、恩を着せる思いや、感謝されたい思いがあったのではないでしょうか。

大我であれば、貸したお金はあげたも同然、返ってこなくても腹を立てません。

返ってこなくて悶々としてしまうのは、感謝されたい見返りを求める小我な気持ちがあるからです。

大我は「貸す=あげる」になります。何の見返りも求めません。

これはものの例えですから、借りたものは返すのが当然です。

もしもお金を貸すことがあれば、あげる覚悟がなければ貸してはいけません。見返りを求めずに貸せるのであれば、貸してあげると良いと思います。

「見返りを求めないから貸す!」といっても、相手のためになるかどうかを考えなければなりません。

もしも、浪費グセのある知人が「貸してほしい」と言ってきたら考えればなりません。

お金を貸すことが、本当に知人のためになるのか?ということ…

身の丈以上の浪費グセがあるからお金に困るわけで、そんな知人であれば、嫌われるのことになっても貸さずに更生させるのが大我です。

嫌われたくないから貸すのは小我です。相手のことを想い、嫌われる覚悟で断るのは大我になります。

ここまでの話をまとめると、大我とは自分中心で物事を考えないことで、他人を中心に物事を考えることだとわかります。

人は本当に小我の塊ですが、大我に目覚めることが幸せに繋がります。

少しずつでも大我に近づきましょう。